名古屋高等裁判所金沢支部 昭和28年(う)381号 判決
U弁護人の論旨第一点は、同弁護人の控訴趣意全体より帰納された総括的な意見(総論的部分)であると解し得る。従つて右論旨に対する当審の見解は、第二点以下個々の論旨(各論的部分)に対する判示によつて一層明確化されるものである。さもあれ、論旨第一点として控訴趣意書中に掲記されている以上、第二点以下に対する判示と一見恰も重複するような嫌いがないでもないけれども、以下説示する通り、論旨第一点について一応の判断を与える。
所論の要旨は、本件天狗橋は昭和十五年三月日華事変の最高調に達した際竣工したもので、設計の当初より技術的に著しい欠陥があり交通上支障のある脆弱な橋梁であつたので常に補修工事の要があり、昭和二十五年九月三日のジエーン台風前既に金百五十万円を投じて、大修繕をすることになつていたところジエーン台風で又々大被害を受けたので主管課長として被告人竹島は、従来より強靱な橋に「復旧」し、もつて架橋以来毎年のように補修をなさなくとも済むようにしたいと考え、これが「復旧」には一平方米につき一万円程度を要するものと想定し本件天狗橋の総面積は一千平方米であるからその総復旧費を約一千万円程度として災害復旧費の申請をなすべく、石川県土木部道路課主任技師越田嘉一及び金沢土木出張所技師沢田正春にこれが準備をなすべく命じた。当時金沢土木出張所においては本件天狗橋の復旧は「緊急災害復旧工事」として建設省に申請する意向であつたが、被告人竹島は当時「緊急災害復旧工事」として申請することは被害の程度からして適当でないとの見地から、これを「一般災害復旧工事」として申請することとした。しかして建設省から係官が現場に臨み実地検査を行いその査定をするに際しては、当時本件天狗橋は株式会社宮竹組(専務取締役金山岩松)に請負わしめ百五十万円の工費をもつて、既に補修工事をすることになつていた関係上、補修箇所を取外して検査を受けることによつて、橋全体の損傷の程度をより一層的確に検査を受けることができ、これによつて右検査は充分通過するものと確信していたので、被告人竹島は、そのようにするよう道路課員等に指示したものである。従つて被告人竹島としては検査のため故意に天狗橋の損傷を作出するが如きことは夢想だにもしなかつたものである。のみならず前記のとおり本件天狗橋は「一般災害復旧工事」として申請したものであるから工事の着手は昭和二十六年度以降となり、着手しても二ケ年以上を要するものであるからその間従来の天狗橋を使用する必要があり、被告人竹島としては前記百五十万円の工費による補修工事をその侭行うことによつて、当分の間従来の天狗橋を使用すべきことを考慮していたので、右検査のために天狗橋を破壊し又は損傷を与えよう等のことは到底考える余地のないものである。被告人竹島と被告人嶋倉との間において右天狗橋を破壊し損傷することを謀議したものでない。その間の消息を詳述すれば、被告人竹島は、新に金沢土木出張所長に赴任した被告人嶋倉をして天狗橋の損傷状況を知らしめておかなくてはならないと思い。昭和二十五年十一月六、七日頃越田技師の電話によつて嶋倉所長を道路課に呼んで、補修箇所の取外し方を知つているかと尋ねたところ、同人は知つているから直ぐかかるとの返事であつたのでそれ以上の話はしなかつたものであり、その時越田技師が被告人竹島の横から、嶋倉に対して「今年の災害ではあのような長い橋は四分の三の被害がなければ復旧工事の対象とならない」との意味のことをいい、尚両名は何事かの打合せをしたものである。また、被告人竹島と金山岩松との間に於て、天狗橋を破壊し損傷すべく、謀議した事実もない。その間の経過を説明すれば、昭和二十五年十一月八日電車中において、金山岩松は被告人竹島に対し「自分は株式会社宮竹組の専務をしているが、今金沢土木出張所へ打合せに行つて来たので午後には右出張所員三名が天狗橋現場に来る」等と話した上、補修箇所の取外しに関し、「検査の際は処々取外して置けばよいか」と聞いたのに対し、被告人竹島は、単に、補修工事で取換える部分を取外すものである旨並に、天狗橋は弱体の橋で交通事故を頻発するから今度検査が通つて鉄橋にでもなればよいと思つている旨答えたに過ぎない。鶴来駅に着いたとき車輛に故障を生じそれを取替えるため五分間程下車した際、金山は天狗橋の方を指差し、「土木(土木出張所の通称)ではあそこにある補修材料を宮竹小学校の校庭に隠せと言つているが、遠いので厄介なことを言うが、自分としては天狗橋より少し下流に柳のある堤防の上が適当だと思うがどうでせう」と尋ねたので被告人竹島は「そんな運賃を掛けてまで隠す必要はないだろう近くてよい所があればよいでせう」と返事をした。結局被告人竹島と金山との話は雑談の域を出なかつたものである。被告人竹島は偶然金山に会つたものであり乗客多数いる車内で天狗橋を壊せとか、傾けろとか、材料を待避せよ等の指示をすることができる筈もなく、またそのような意思は全然なかつたものである。本件天狗橋が落下するに至つたゆえんのものは、金沢土木出張所においても本件の如き結果を生ずるものとは予期しなかつたので、補修箇所の取外しに関し、それに相応する監督がなされなかつたこと、昭和二十五年十月中旬人事異動のため被告人竹島が沢田技師に話した補修箇所取外しに関する注意が、その後任者に正確に引継がれなかつたこと、被告人嶋倉が着任後出張所内の人事異動をなし、責任のない被告人山森が現場指導に当つたため、被告人竹島の意図したところと非常に異つた指示が現場に伝わつたこと、請負人並に現場監督等は緊急災害と一般災害との区別を知らなかつたため大きく解体する方が良いと推量し、出張所員が指示した以外の行動を取つたこと、吊橋の力学的理論も解体する技術も弁えない者が作業をしたこと等にあるというにある。しかしながら原判決挙示の証拠によれば天狗橋とは、白山に源を発し、加賀平野を貫流する手取川に跨り、石川県石川郡鶴来町と同県能美郡山上村との間に昭和十五年三月頃竣工架設された全長二百十二米七十糎、有効幅員四米十糎の木造補剛構付吊橋であつて、当初の設計に不備があり、親線及び吊線については相当の強度を有するも、補剛構(トラス)及び耐風トラスは強度不足であり、特に垂直材の鋼棒は最も強度不足なるのみならず近時貨物自動車その他車馬の通行頻繁にして、床板の磨滅、縦桁、横桁、補剛構の破損、結合部分の腐朽等により隔年毎位に補修工事の必要を生じていたもので昭和二十五年度においても、同年四月頃国庫補助の下に百七十四万円で腐朽部分を補修することになり、同年八月二十二日指名競争入札の結果、株式会社宮竹組において百五十万円で落札し同会社は同月二十五日石川県知事との間に請負代金百五十万円、竣工期限、昭和二十五年十月二十四日とする補修工事請負契約が締結せられ、同会社は被告人向山初三郎に右工事の現場総監督を委嘱し、同年九月一日頃より被告人小村惇担当の下に補修材料の蒐集に着手した状況であつたことが認められる。ところで昭和二十五年九月三日、ジエーン台風により、石川県下の道路橋梁等に多大の損傷を蒙つたことは一般公知の事実に属するところ、本件天狗橋の損傷の程度については横田亥左男の司法警察員に対する供述調書中「私は本年八月下旬より、住所地である鶴来町から能美郡山上村字岩本にある農林省手取川農業水利事業所に、毎日通勤して居る者であります。私は事業所へ通勤する際、何時も自転車で手取川にかかつている天狗橋を渡つているのであります。何時頃かはつきり致しませんが、最近になつて橋の鶴来側の橋詰あたりの桁が折れて橋板が少し下つていた外橋の縦板が少しいたんでいましたけれども、私が自転車で通勤するのに危険であると感じは致しませんでした。」「十一月十日(昭和二十五年)までは以上の様な状態であります故通行人も自転車も普通に通つて居りました。」との供述記載。藤田和男の昭和二十五年十一月二十二日附司法警察員に対する供述調書中「十一月の初め頃やはり組の仕事で自動車(普通貨物自動車)で天狗橋を渡つたことがあつたのですがその時鶴来寄りの方で天狗橋の横桁が折れていることを知つていたのでその日も橋に差かかつた時は十粁位に減速していたと思います。」「鶴来の方から渡り初めて約十米の所が先程言つた横桁の折れている所なので、そこは橋板も縦板も少し凹んでいてその上に何枚であつたか覚えていませんが巾一尺位の板を両側に渡してありました。私は何なくその上を自動車で通り抜け山上村の岩本に渡つたのです。」との供述記載。永原貢の司法警察員に対する供述調書中「九月三日ジエーン台風が吹きました。橋の一部分ピヤーとピヤーの中程のトラス(橋の手摺の一部)が二箇所程破損しているのが私の居る事務所の中から見えました。しかし諸車の交通には何等支障ありませんでした、又橋の吊ワイヤーがその時切れたということは気付きませんし、又他の同僚の人からも何も聞きません。」との供述記載。被告人小村惇の原審(第三十四回公判期日)における供述中「ジエーン台風が吹いた翌日に行つてみましたが、自分等が橋を通つてみただけでは、いたんでいませんでしたが、自動車が荷を積んで橋を通ると、台風の前よりも余計に橋が波を打つていた様に思います。しかし橋の何処がいたんでいるのか判りませんでした。」との供述。同人の検察官に対する第一回供述調書中「同年(昭和二十五年)九月三日ジエーン台風が襲来し、その台風で天狗橋の斜材と駒との結合部分が外れたものがあつたり、斜材を支えておる駒が少し弛んだり、吊線の下部の環の熔接した個所がとれて喰い合せが少し空いたりしておるのを見ました。それでその個所は修理をしなければならんと思いましたが、斜材とか斜材を支持しておる駒とかは、前述の設計書に記載してあるように百五十万円の補修工事で一部取替えることになつておるので、その補修工事以外に、特にジエーン台風による被害の復旧としては、吊線の環の熔接を要する位のものであつたと思います。従つてジエーン台風によつてその橋が役に立たなくなつたから全然新しく橋をこしらえ直さなければならんというようなことはありませんでした。」との供述記載。北出数雄の司法警察員に対する供述調書中「昭和二十五年十月十五日の日は日曜日で…………午後一時に昼食を喰べて出勤し、先程言つた会社の普通貨物自動車に、専務の太田さんと会社の谷本さんが乗り、私が運転して午後二時会社を出て、天狗橋を渡つて山上村の燈台笹に行つたのですが、天狗橋を渡つた時は別に何の気もなく多分十五粁位の速度で通つたと思いますが、これといつた変つたことも認めず何ともありませんでした。燈台笹に行きまして、長さ六尺直経六寸位の材木六十七本、石数にして一七、八七石約重量五五〇貫を自動車に積んで太田さんや谷本さんを乗せ、午後四時半頃出発して天狗橋を通つて会社に帰つたのであります。帰えりに天狗橋を山上村の方から渡り鶴来より約十米位の所に差かかつた時『パフン』と云う音がしましたが、その侭車を停めないで鶴来の方に渡つて車を停め、橋がどうなつたかと見に帰つたのですが、『パフン』と音のした箇所は、橋板の所は別に変つた様にも見えませんでした。私は別に音のした所が変つてもいなかつたので或は横の吊桁にひびでも入つたのでないかと思つたのでした。橋を渡つた時は行きと違い材木を積んでいたので六、七粁の速度であつたと思うのです。その外は橋に自動車の通るために補強として取付けてある縦板も別に折れた所もなく全く変つた所も見受けなかつたのであります。尚二日前の十月十三日の午後五時頃やはり会社の自動車に材木一九、六八石、重量六三八貫位を積んで能美郡の新丸の丸山からの帰り天狗橋を通り会社に帰つたのでしたが橋では何ともありませんでした。十月十五日の日天狗橋を渡つた時には鶴来側の方も山上村側の方でも交通止の札を見ませんでした。」との供述記載。能登安盛の検察官に対する第一回供述調書中「昭和二十五年九月三日北陸地方にジエーン台風が襲来しました。私は金山岩松、向山初三郞、雲戸成義、嵐吉次と共にその翌四日午前七時頃小型トラツクに乗つて宮竹部落を出発し金沢市彦三農林省農地事務所に行きました。その途中天狗橋を通りましたがその橋は別にジエーン台風で破損した様子もなく小型トラツクは私等を乗せて普通の速度でその橋を通過しました。」との供述記載。を綜合すれば、(一)昭和二十五年九月三日のジエーン台風によつて、橋のトラス(補剛構)の一部が弛緩損傷し、貨物自動車その他の諸車が通行する際橋体が以前よりも多く沈下する様になつたけれども、諸車及び人の通行に支障はなく、既に着手した百五十万円の補修工事の外に更に総工費一千万円の予算を計上して工事をしなければならない程の被害はなかつたこと、(二)鶴来側の橋詰から約十米先の地点において横桁が折れその部分の橋板、縦板が低下したのは、その後において生じたものであつたことが認められる。原判決が原判示二、三の事実につき挙示している証拠を綜合すれば当時石川県土木部道路課長の職にあつた被告人竹島清一は、ジエーン台風襲来の機会を利用し、災害による国庫補助を申請して、全額国庫負担により、天狗橋を完全な橋に架替えて、地元民の要望に応えようと計画し、昭和二十五年九月中旬頃石川県金沢土木出張所勤務の技師沢田正春に対し、ジエン台風により天狗橋が災害を受け復旧費一千万円を必要とする内容の設計内訳書を作成することを命じ同技師が同出張所勤務の被告人山森郁夫に作成させた総工費一千万円の設計内訳書の提出を受け、一般災害復旧工事として申請することとし、これを県下の他の被害設計内訳書と共に目論見書に計上し、土木部砂防課に回付し、同課においてこれを他課の目論見書と共に取纒め、ジエーン台風による昭和二十五年度災害復旧工事目論見書を作成の上、土木部監理課を経由し、昭和二十五年十月四日附にて石川県知事より建設大臣宛提出の国庫負担災害復旧費検査申請書に添付し、同月五日頃建設省に提出して検査申請をなしたるところ、右申請に基き同省当局において天狗橋については同年十一月十二日頃現地に係官を派遣して被害状況を検査させることになつたことをそれぞれ認められる。
被告人竹島清一は、「株式会社宮竹組に工費百五十万円で請負わせた補修工事により、取除くべき部分を取外して検査を受けるよう、被告人嶋倉武男に指示し、また株式会社宮竹組の専務取締役金山岩松に話したことはある、橋を壊せとか傾けろというような指示をしたり又話をしたことはない。」旨、検挙以来終始主張しているけれども、これよりざき昭和二十五年十月二日附書面により石川県土木部長名義をもつて株式会社宮竹組に対し同社が請負つた補修工事の中止を命じていたことは原判決挙示の証拠中原判示四の事実のうち石川県土木部道路課係員及び同県金沢土木出張所係員が災害査定の対策としてなした措置につき掲げている証拠により明らかであり、かつ金山岩松の検事に対する第一回供述調書中「同年十一月八日頃金沢土木出張所から電話で、ちよつと来てくれと申して来たので、私は同日午前十時頃同出張所に行つたところ、同出張所の山森が十二日に建設省から天狗橋を見に来るが、あの侭では査定が通らぬから、もう少々被害の多きかつた様に見せなければだめだから、もつと被害の多かつた様にしてくれ、昼から現場に見に行くからと言われたので、私は正午頃同出張所を出て、会社に帰るべく白菊町から郊外電車に乗りました。野町停留所から石川県土木部道路課長竹島さんが乗りましたので私は座席を空けて同課長を坐らせ何処に行くかと訪ねたところ、辰口橋に行くと申しました。私は当時清水建設が県から辰口橋の新設工事を請負つていたので、同課長はその工事場に行くものと思いました、そして雑談をしているうち、私が十二日に建設省から天狗橋を見に来るのですかと聞いたら、来ると申したので、私は山森から聞いたことを話したところ課長は、うんその通りやらなければだめだ、あの侭では査定が通らぬから、ジエーン台風によつて自然に壊れた様に、四分の三位に橋を傾けてくれと言われました様に思います。それで私は、はいと答えておきました。そのうち電車が宮竹駅に着いたので私は下車して会社に戻りました。」との供述記載及び同人の検察事務官に対する第一回供述調書、同人の司法警察員に対する第一、二回供述調書、同人の検事に対する第二、三回供述調書、原審第二回公判調書中同人の供述部分、同第二回公判期日における被告人嶋倉武男の供述中「私は道路課長より『天狗橋の査定は四分の三以上の被害でなければ検査が通らないから検査の通るようにうまくやつてくれ』という趣旨の命令を受けたのですが私は今西に対し道路課長はこう言つているがと、その時道路課長より命令を受けたことを話し、更に私の意見として課長はそう言つているがそんな無茶な事は出来ぬから橋としての効用のないことを示せば足りるのだから橋板を少しまくつておけばよいのではないかとその趣旨を修正して話したのです。」との供述部分。原審第三十一回公判期日における被告人嶋倉武男の「何の用事であつたか覚えありませんが、私は道路課へ行つたところ課長が居り、その前に越田技師その横に堀技師が居たので私も其処へ行つたところ課長が来て『天狗橋は災害程度が四分の三以上ないと通らないからそのつもりでやつてくれ』ということを言われました。」との供述部分。原審第三十六回公判期日における被告人嶋倉武男の「四分の三という話も私は竹島課長から聞いたので越田技師が私にその話をしたということは記憶ありません。」との供述部分。原審第四十九回公判期日における証人越田嘉一の供述中弁護人今島廉蔵の問、「嶋倉が道路課に寄つて今度建設省から見に来ることについてどうするかについて話に来た時、その時証人もいたか」答「私はいたかも知れませんが私はその話には立会いません。」検察官の問「昭和二十五年十一月上旬頃当時の金沢土木出張所長嶋倉武男を県の道路課に呼んで天狗橋を四分の三以上壊す様に命じたことがあるか」、答「ありません」との供述部分。並に被告人嶋倉武男の検察官に対する第三、四回供述調書、被告人竹島清一の司法警察員に対する第三回供述調書を綜合すれば、被告人竹島清一は前示総工費一千万円の国庫負担災害復旧費の検査に当り、天狗橋の現状をその検査申請に合致せしめて、右検査に合格せしめんがため、恰もジエーン台風により、一千万円の復旧費を要する程度の、被害を蒙つたものの如く、天狗橋を損壊すべく決意し昭和二十五年十一月七日頃(原判決には九日と記載あるも七日頃が正当と認める)道路課内において被告人嶋倉武男に対し、天狗橋の査定は同橋の全長の四分の三以上の区域に亘る被害程度でなければ検査が通らないからそのつもりで早速かかつてくれと申向けて天狗橋の一部を損壊して風害の状況を作出することを指示し、更に同月八日頃金沢市内より鶴来町方面に向う電車内において前記株式会社宮竹組専務取締役金山岩松に対し天狗橋はあのままでは査定が通らないからジエーン台風により自然に壊れた様に一部損壊して貰いたい旨及びその損壊の程度は同橋の全長の四分の三以上の区域についてなされたき旨を依頼したことが認められる。従つて被告人竹島清一は単に株式会社宮竹組が請負つた補修工事により取除くべき部分を取外して検査を受けるべく指示したものとは到底認めることができまいし、また越田技師が被告人嶋倉に対して「今年の災害はあのような長い橋は四分の三以上被害がなければいけない」といい天狗橋の損壊につき打合せをしたものであるということも証拠上これを認めることはできない。しかして原判決挙示の証拠中原判示四の事実のうち往来妨害の共同謀議につき引用している証拠を綜合検討すれば被告人竹島清一の指示に基き原判示のとおり被告人等及び金山岩松は順次意思を連絡して共同謀議を遂げ、現に人車馬の往来に使用している天狗橋を損壊しその往来に妨害を生ぜしめることを計画し原判示のとおり同橋を損壊し因つて昭和二十五年十一月十一日午前十時頃天狗橋の上流側落下によりその床面を垂直乃至傾斜する状態に垂れ下らしめて人車馬の通行を不能ならしめて往来の妨害を生ぜしめその際原判示の通り通行人及び作業人夫(但し橋村政雄、小寺勝秀、石村由夫、近藤洋一の部分を除く)を墜落せしめ死傷に至らしめたものであることが明らかに認められる原判決には所論のような事実の誤認はない。記録によれば、所論のように、被告人竹島には勿論他の被告人にも、本件天狗橋を落下せしめようとする意思はなく、また左様な事を予測してもいなかつたことは認め得られるも、いやしくも前説示のとおり被告人竹島は、国庫負担災害復旧検査申請による検査に合格せしめるため、ジエーン台風により一千万円の復旧費を要する程度の被害を受けたものの如く損壊すべく被告人嶋倉及び金山岩松に前説示のとおり指示依頼し、被告人等及び金山岩松は順次意思連絡をして共同謀議をなし、現に人車馬の往来に使用している同橋を損壊したる本件においては、たとえ同橋を落下せしめる意思がなく、また損壊により落下することを予測しなかつたからといつて、その落下は不法に橋を損壊したことに基因するものであるから、情状に関しては兎も角、本件の往来妨害致死傷罪の成立に消長をきたすものではない。論旨は理由がない。
同第一点第二の一(事実誤認、法律の解釈適用の誤)について
所論の要旨は昭和二十五年十月二十一日西川巡査のなした通行禁止の処分は本件事故発生の日まで引続き効力を有していたものであつて、本件事故発生当時には、天狗橋は法律にいわゆる往来ではなく法律上通行し得ない橋梁であつたものである。然るに原判決が当時法律上の往来であつたものと認定したことは事実を誤認したものであり延いては法律の解釈を誤り罪とならない事実に対し有罪の認定をなした違法があるというにある。
昭和二十五年十一月十七日附検察官作成の検証調書によると検証当時(本件事故発生後)天狗橋の東西両側渡り口の各中央部に「通行止ROAD CLOSED鶴来町公安委員会」と記載した立札各一個、橋の各渡り口の南側に「通行禁止STOP ALL VEHICLES UNDER TENGU BDG CNST来鶴町公安委員会、同町警察署」と記載した立札各一個、同各北側に「自昭和二十五年九月四日、諸車通行止、石川県」と記載した立札各一個が立ててあり更に西側渡り口の下流側(北側)のトラスに「通行止め石川県」と記載した木札一個が吊下げてあつたことが認められるも、原審第四十六回公判期日における証人西川正雄の供述、原審第四十三回公判期日における被告人小村惇の供述、前示検証調書によれば「通行止ROAD CLOSED鶴来公安委員会」と記載した立札は本件事故発生後に立てたものであることが明らかであつて本件に関係がないことが認められる。原審第十九回及び第四十六回公判期日における証人山田芳男の供述(中略)を綜合検討すれば天狗橋の東西両渡り口北側に立ててあつた、「自昭和二十五年九月四日諸車通行止、石川県」と記載した立札(証第十九号の三)は、前認定のとおり前掲天狗橋の国庫負担災害復旧費の検査を通過せしめる目的の下に昭和二十五年九月三日のジエーン台風に因つて本件天狗橋が損傷したものの如く橋の一部を損壊して風害の状況を作出するため、同年十月下旬頃金沢土木出張所係員より株式会社宮竹組に対し「諸車通行止」の立札を昭和二十五年九月四日から立ててあつたものの如く古板をもつて作りこれを天狗橋の両渡り口に立てておくよう指示し右宮竹組専務取締役金山岩松はこれを被告人小村惇に告げ、同人は右趣旨を諒承して自ら前記立札を作成し、その頃天狗橋の東西両渡り口に立てたものなることが明らかであり、また「通行止、石川県」と記載した木札証第十九号の四もその頃被告人小村惇において前記証第十九号の三と同一趣旨で自ら作成しこれをトラスに吊下げたものなることが認められ、たとえ正規の手続により諸車通行禁止の標示がなされたとしてもいずれも正当な橋梁の管理権に基きなされたものにあらずして、総工費一千万円の国庫負担災害復旧費の検査を受けるに当り、その検査に合格せしめんがため、その対策として、本件天狗橋を損壊し風害の状況を作出するため、職権を濫用し不正な工作をする目的の下に、右工作中人車馬の通行を杜絶せしめる意図より為された標示であつて、もとより違法の措置といわなければならない。従つて右諸車通行止及び通行禁止の各標示は、法的効力を有しない無効のものであつて通行止の効力を有しないものである。また前掲証拠によれば右証第十九号の一、二(通行禁止、STOP ALL VEHICLES UNDER TENGU BDG CNST鶴来町公安委員会、同町警察署)は昭和二十五年八月頃株式会社小山組において本件天狗橋の補修工事をなした際、その工事中牛馬車その他諸車の通行を制限するため金沢土木出張所長の指示に基き立てたもので、右工事は数日にして終了したが右工事終了後撤去を怠りその侭放置しあつたもので、此のままでは諸車の通行に支障があるので、鶴来警察署巡査部長山田芳男はこれを撤去しようとしたが、その立札に重量制限の貼紙がなされていたのでそのままこれを存置するうち、同年十月二十一日頃自動車の通行により橋の横桁が二本程折れたとの報に接したため、応急措置として西川巡査に通行止の措置を命じ、同巡査は叙上の立札より重量制限の貼紙を取除き、数日後の同月二十三日頃破損部分が補修されて通行禁止の必要は解消したるにより、右通行禁止の立札は無用となり、従つて本来直に除去せらるべきところ、そのままに放置されていたに過ぎず、本件損壊作業のなされた同年十一月十、十一日当時においては、前説示のとおり、事実上人車馬が通行していたもので、法的には勿論事実上も、右通行禁止の標示は人車馬の通行を禁止する効力を有しなかつたもので、当時本件天狗橋は法律上人車馬が自由に往来し得る橋梁であつたことが認められる。所論のように、右西川巡査の執つた貼紙撤去の措置により、本件天狗橋が本件事故発生の日まで、その通行を禁止されていたものであり、従つて、人車馬の往来に供されていなかつた橋梁であるとは到底認めることができない。されば原判決が本件天狗橋を現に往来に使用している橋梁と認定し処断したのは正当であつて原判決には所論のような違法はない。
同第二の二(事実誤認)について、
所論の要旨は、被告人竹島は、天狗橋災害復旧費一千万円の国庫補助申請を為し、その検査を受けるに当り、これより先右災害と関係なく既に決定されていた補修工事を実施する際に、補修個所を取外して橋板をめくり、橋桁等の腐朽程度等被害状況を一目瞭然たらしめておけば、災害復旧の検査に合格する見込みが充分であると確信していたものであつて、橋の一部を損壊しなければ右災害復旧国庫補助申請が通過しないというような考えは毛頭持つていなかつたものである。従つて右一千万円の災害復旧工事申請の通過を図るために前記補修工事の中止を命じ、天狗橋の一部を損壊して風害の状況を作出するが如きことは到底考えることのできない事柄である。県当局としては、積極的に右補修工事の中止を命じたのではなく、工事請負人株式会社宮竹組において材料の蒐集が遅れ、工事竣工期限である昭和二十五年十月二十六日迄に竣工することができない事情にあつたため、違約金を県に支払わねばならないことを虞れ、臼井利三郞に依頼して工事の中止命令を出して貰つたものである。然るに原判決が本件天狗橋の一部を損壊する前提として、石川県土木部道路課において工事請負人株式会社宮竹組に対し補修工事の中止を命じたものであると認定したことは、事実を歪曲して認定したものであるというにある。
しかし、本件天狗橋は昭和二十五年九月三日のジエーン台風によつて橋のトラス(補剛構)の一部が弛緩損傷し貨物自動車その他の諸車が通行する際橋体が以前よりも多く沈下するようにはなつたけれども、諸車及び人の通行に支障はなく、既に着手した百五十万円の補修工事の外に更に一千万円の予算を計上して工事をしなければならない程の被害のなかつたこと、被告人竹島清一はジエーン台風襲来の機会を利用し、災害による国庫補助を申請して全額国庫負担により、天狗橋を完全な橋に架替えて地元民の要望に応えようと計画し、昭和二十五年九月中旬頃技師沢田正春にジエーン台風により災害を受けその復旧費に一千万円を必要とする内容の設計内訳書の作成を命じその提出を受けたること、右設計内訳書を県下の他の被害設計内訳書と共に目論見書に計上し、土木部砂防課に回付し、同課においてこれを他課の目論見書と共に取まとめ、ジエーン台風による昭和二十五年度災害復旧工事目論見書を作成の上、土木監理課を経由し昭和二十五年十月四日附にて石川県知事より建設大臣宛提出の国庫負担災害復旧費検査申請書に添付し、同月五日頃建設省に提出検査申請をなしたること、昭和二十五年十月二日附書面をもつて石川県土木部長名義をもつて株式会社宮竹組に対し右会社が請負つた天狗橋補修工事の中止を命じたること、被告人竹島清一が、総工費一千万円の国庫負担災害復旧費の検査に当り、天狗橋の現場をその検査申請に合致せしめて、右検査に合格せしめんがために、天狗橋がジエーン台風により一千万円の復旧費を要する程度の被害を受けたものの如く損壊すべく決意し、昭和二十五年十一月六、七日頃被告人嶋倉武男に対し、天狗橋の一部を損壊して風害の状況を作出することを指示し、更に同月八日頃株式会社宮竹組専務取締役金山岩松に対しジエーン台風により自然に壊れたように天狗橋の一部を損壊して貰いたい旨及びその損壊の程度は橋の全長の四分の三以上についてなされたき旨依頼したことの各事実は、前記弁護人の控訴趣意第一点において認定したとおりである。而して右認定事実と被告人竹島清一の司法警察員に対する第三回供述調書中「宮竹組では材料の仕入をしていた様でしたが、現場工事には着手して居らなかつたものであります。尚前申した様に一千万円の申請をした関係上、十月二日頃に宮竹組に対し工事中止命令をなしました。」「災害復旧費の一千万円の分が承認されても一般災害であるから明年度以降にならなければ国庫より県に対し金が来ないのと、又他の金と合せて改良復旧をする心算であつたので、契約工事(百五十万円の分の意)は多少変更の上実施する考えでありました。それで宮竹組の材料はその侭使用する考えであつた。要するに百五十万円の工事の延長として多少の金を加えて工事案を作り宮竹組にさせる心算でした。」との供述記載。金山岩松の検察官に対する第三回供述調書中「天狗橋の補修工事の竣工期日は同年十月二十四日でしたが、ジエーン台風の襲来後石川県金沢土木出張所から電話でその工事を待つように言うて来たので、宮竹組としては竣工期が迫るので早く工事をしなければならぬ関係上どうしてくれるのかと問い合せたところ、同年十月上旬か中旬頃私が同出張所に他の用事で行つた際、庶務係から同月二日附の右補修工事の中止命令書を貰いました。」「同月中旬頃同出張所から電話で天狗橋の橋詰に諸車通行止の札を前から立ててあつた様に古い板で作つて立てておいてくれと申して来たのでそのことを、小村に話して立札を作つて立てるように命じました。」との供述記載。原審における証人越田嘉一の尋問調書(臨床尋問)今西三郞の昭和二十五年十一月十五日附司法警察員に対する供述調書、原審第三十四回及び第四十一回公判期日における被告人小村惇の供述、同第二十七回公判期日における証人徳川俊信の供述、同第四十九回公判期日における証人山田権作の供述、金山岩松の昭和二十五年十一月十五日附司法警察員に対する供述調書を綜合すれば、石川県土木部長名義で株式会社宮竹組に対し本件天狗橋の補修工事の中止を命じたのは、所論のように株式会社宮竹組の責に帰すべき事由により同会社の申請によつたものではなく総工費一千万円の国庫負担災害復旧費の検査に当りその検査に合格せしめんがためその対策として前説示のとおり本件天狗橋を損壊し風害の状況を作出するために台風襲来後金沢土木出張所から電話で工事の中止を命じ更に昭和二十五年十月二日附書面をもつて石川県土木部長名義で工事の中止を命じたるものなることが十分認められる。原審第二十四回公判期日における証人臼井利三郎の供述、同第四十回公判期日における被告人今西三郞の供述、同第二十六回公判期日における証人川上秀吉の供述中論旨に添うような供述部分のあることが認められるも、前示の各証拠並に当審における証人臼井利三郞の供述に照していずれも措信することができない。従つて原判決には所論のような事実の誤認はない。
(中略)
同控訴趣意第二点(刑事責任阻却の事由)について、
所論の要旨は、本件事故発生の当日たる昭和二十五年十一月十一日朝は鶴来側橋詰には通行止めのため木材を組んであり、西側渡口下流側トラスに証第十九号証ノ四の「通行止、石川県」と記載ある木札を吊り下げ、また証十九号の一、二の通行禁止の立札があり、かつ作業中右木材を組んだものを取り除くについては橋の渡り口に丸太を置く等の措置を構じ、通行人の危険防止のため一般社会人として出来る限りの措置をなしたものであつて、被告人等はもとより、何人と雖もかゝる措置を構じたる場合、作業員以外の者が通行するが如きは、考え及ばない状況にあつたもので、通行人が死傷するが如きことは、独り被告人等のみならず、何人も期待し得ないところであるから、本件通行人辻井与太郞、中島竹良の致死の結果防止については、被告人等にそれ以上の措置に出ることを期待することは不可能を強いるものというべく、右両名の致死の結果については、被告人等の責任を阻却するもので罪とならないものである。しかるに原判決がこの点を看過して被告人等に対し、右両名の致死の結果責任を負わしめたのは違法であるというにある。
被告人小村惇の検察官に対する第二回供述調書、同人の原審第三十七回公判期日における供述、宮岸政一の検察官に対する第一回供述調書、原審の昭和二十六年三月二十六日の公判期日(被告人金山岩松外二名に対する第二回公判期日)における証人宮岸政一の供述、当審における証人宮岸政一の供述、鈴木礼子、宮沢幸雄、山内六三郞、本田重一の司法警察員に対する各供述調書、昭和二十五年十一月十七日附検察官作成の検証調書によれば所論のように本件事故の発生した当日たる昭和二十五年十一月十一日朝は、鶴来側即ち東の橋詰に通行止めのため取外した橋の縦板等を組んであり、また西の橋詰にも同様の措置のなされてあつたこと、橋の西側渡り口下流側トラスに証第十九号の四の「通行止、石川県」と記載ある木札が吊下げてあり橋の両渡り口には証第十九号の一、二の通行禁止STOP ALL VEHICLES UNDER TENGU BDG CNST鶴来町公安委員会、同町警察署」と記載の立札のあつたこと、作業中は通行止めのため木材を組んだものを取除き橋の渡り口に丸太を置く等の措置の執られていたことは認め得られるも、右証第十九号の一、二、及び証第十九号の四の標識は、前記弁護人の控訴趣意第一点第一、同第二ノ一、について認定したとおり、右は職権濫用によつて橋梁を損壊するという不正な工作をするため、その手段に供せられた標識であつて、一般人の通行を禁止するに足る法的な効力を有しないものである。また右所論のように事実上構ぜられた通行止の措置も、右のとおり橋梁を損壊するという不正な工作をするために執られた措置であつて、もとより適法なものではなく往来を禁止するに足る法的効力を有しないものである。のみならず小村惇の検察官に対する第二回供述調書中「その立札があつても空自動車や荷車や人はその橋を通行して居り十一月十日の工事中にも空自動車や荷車や人は通行して居り翌十一日の工事中には空自動車は通らなかつたが、荷車三台位と人が少し通行しました」との供述記載、坂田富子、鈴木礼子、宮沢幸雄、山下清、出村佐市、山内六三郞、本田重一、寺田音吉、中尾正輝、坂井吉雄、大東速日出、宮沢幸雄、山内三郞、佐藤重太の司法警察員に対する各供述調書記載被告人向山初三郞の原審第三十三回公判期日における供述によれば、本件の事故発生の当日たる昭和二十五年十一月十一日においても本件天狗橋は現に事実上多数の通行人のあつたことが認められ、所論のように人の通行を想像し得ないような状況にあつたものとは到底認めることはできない。かつ被告人等が共謀の上本件天狗橋を不正に損壊して往来を妨害したることは、前記控訴趣意第一点第一において認定したとおりであつて、苟も橋梁を損壊し往来を妨害したる以上、たとえ通行人を死傷に致すことを意欲せず、また予見しなかつたからといつて、その死傷の結果につき罪責を免れることのできないことは刑法第百二十四条第二項の解釈上当然である。本件は前認定のとおり不法に天狗橋を損壊し、同橋の上流側落下により、その床面を垂直乃至傾斜する状態に垂下せしめ、人車馬の通行を不能ならしめて往来を妨害し、その際橋上にあつた通行人辻井与太郞、同中島竹良を橋下に墜落せしめて傷害を負わせ因つて右両名を死亡するに至らしめたものであることが明らかであるから、被告人等はいずれも右両名の致死の結果につき罪責を免れることはできない。所論の理由により被告人等の責任を阻却するものではない。従つて原判決には所論のような違法はない。論旨は理由がない。
(中略)
同(被告人竹島清一の弁護人Sの控訴趣意)二、法律の解釈又は適用の誤第一について、
所論の要旨は本件天狗橋は昭和二十五年十月石川県土木部道路課係員及び同県金沢土木出張所係員が「自昭和二十五年九月四日諸車通行止石川県」と記載した立札を立て諸車の通行禁止の処分をなし、更に昭和二十五年十月二十一日橋板橋桁折損し通行の危険が認められたので鶴来町警察署交通主任巡査部長山田芳雄が部下の西川巡査をして人車馬一切の通行を禁止する応急的行政処分がなされた。更に同年十一月十日、十一日には被告人小村又はその他の作業員によつて「通行止め、石川県」なる木札が下げられていた外同橋渡り口に丸太等を使用して通行禁止の事実上の措置もとられていた。以上によると本件天狗橋は同年十一月十日、十一日当時は刑法にいう往来と認めることはできない。然るに原判決が現に人車馬の往来に使用している橋梁と認定し被告人等の所為を往来妨害に問擬したのは法令の適用を誤つたものであるというにある。
この点については弁護人Uの控訴趣意第一点第二の一(事実誤認、法律の解釈適用の誤)同第二点(刑事責任阻却)につき説示したとおり「自昭和二十五年九月四日諸車通行止、石川県」と記載した立札、「通行止め、石川県」の木札及び橋の渡り口に丸太等を使用した事実上の通行禁止の措置はいずれも不正に橋梁を損壊するためになされた措置であつて、法的効力を有しないものであり、また西川巡査の執つた通行禁止の措置は、同年十月二十三日以後はその必要が解消し、通行禁止の立札は無用のものとなりたるも、その侭放置しあつたもので、これまた法的効力を有しないものであつて、本件天狗橋は、事故の発生した昭和二十五年十一月十、十一日当時においては、法律上人車馬が自由に往来し得る橋梁であり、かつ事実上人や車が通行していたことが明らかである。従つて原判決が現に往来に使用している橋梁と認定し、被告人等の所為を往来妨害罪に問擬したのは正当であつて、原判決には事実の誤認はなくまた法令の適用に誤りはない。論旨は理由がない。
同第二について、
所論の要旨は、被害者辻井与太郎は、作業中の林隆一において二回に亘り注意し、通行を阻止したるも、同人は右林隆一の阻止に反して通行したものであるから、致死の結果に対する被告人等の刑事責任を阻却さるべきものである。また被害者中島竹良は、本件天狗橋の損壊作業に従事していなかつたけれども、株式会社宮竹組の一使用人であり、仲間の作業状況を見ていたものであるから、作業従事者と同視すべきものである。右両名以外の被害者はいずれも損壊作業に従事していたものであるからいずれも刑法第百二十四条第二項にいわゆる「人」ということはできない。しかるに原判決が、被害者のすべてを同条にいわゆる「人」と解し処断したのは、法令の適用を誤つたものであると主張する。
よつて按ずるに弁護人Uの控訴趣意第一点第一、同第一点第二の一、第二点について説示したとおり被告人竹島は本件天狗橋につき、国庫負担災害復旧検査申請による検査に合格せしめるため、ジエーン台風により総工費一千万円の復旧費を要する程度の被害のあつたものの如く同橋を損壊すべく、被告人嶋倉及び金山岩松に指示依頼し、被告人等及び金山岩松は順次意思連絡の下に、現に人車馬の往来に使用されている同橋を不正に損壊したものであつて、その不正工作をするためになされた一切の通行禁止の措置は、法的効力がないのみならず、同人の控訴趣意第二点において説示したとおり、本件天狗橋は昭和二十五年十一月十一日においても事実上多数の通行人のあつたこと、殊に山内久三郎の司法警察員に対する供述調書によれば、同人は同橋の落下直前約十五分位前に渡橋していることが認めれら、また大東速日出の司法警察員に対する供述調書によれば、被害者辻井与太郎が同橋を通行している時、他にも橋同を自転車で通行していた者があつたことが認められ、右事実と原審及び当審証人林隆一の供述、原審証人辻井清の供述、同人の検察官に対する供述調書、大東速日出の司法警察員に対する供述調書辻井与太郎の死体検案書、被告人嶋倉、同山森に対する原審第八回公判期日における証人西田賢教の供述(他の被告人に対しては同人の供述調書)を綜合すれば、被害者辻井与太郎は昭和二十五年十一月十一日同人宅の大掃除をなすべく、煤を払うために用いる杉の小枝を取りに、附近の天狗山に行こうとして本件天狗橋を通行中、同橋の落下により墜落し原判示の傷害を受け死亡するに至つたことが認められ、前記林隆一の証言によれば同人が右辻井与太郎に対し「向うへ行くと危いから通らないでくれ」と二回に亘り同人の通行を阻止したことが認め得られるも、同人の証言によれば同人は人の通行を阻止すべく立番をしていたわけではなく、宮岸政一に雇われて、同橋を損壊するため偶々「カグラ」についている「ワイヤー」を橋にかけるため、橋桁に車を取付ける作業中であつたので、その作業の邪魔になるので、同人の独断で阻止したに過ぎないものであつて、被告人等において危害を未然に防止すべく、人の通行を完全に阻止する措置を構じたものとは、到底認めることができない。従つて右林隆一の措置は、被告人等の刑責を阻却するものではない。また原審第四十七回公判期日における被告人小村惇の供述中「中島竹良はそのずつと以前から宮竹用水に仕事に行つていたのです。私は天狗橋が落ちた日の朝、その落下の一時間半位前に天狗橋の岩本側の橋詰で会い、その時中島竹良は『鶴来の小坂という家へ連絡に行くのだ』と言うておつたのですが、その際同人は歩いて来て橋村政雄の自転車に乗つて鶴来へ用事に行つたのであり、その様にして用事に行つたのは徳川さんの言い付けで宮竹用水の使いで行つたと思いますが、中島がその用事から帰つて来た時のことは私は知らないのです。」「中島竹良の外にも一人鶴来の舟本という人も工事を見に来ていて落ちて怪我をしたのですが、私等がその責任を引受けた以上は、成るべくその様な人も皆その工事に従事していたと言えば信じられ易いと考えたからです。」との供述。同公判期日における被告人向山初三郎の供述中「中島は自転車を持つて人夫達と煙草を喫い喫い何か立話をしていましたが同人の持つていた自転車の前方が鶴来の方を向いておりましたから其処から中島はその自転車の向いていた方へ行つたものと思います。」との供述、原審第四十八回公判期日における証人徳川俊信の供述中「初め中島が入社した時には中宮温泉の方の工事の監督に行つていたのですが、その後宮竹用水工事の使い歩きみたいなことをやつており、それをやつている期間中に天狗橋が落下した時同人も落ちて、それが原因で死亡したのです。」「中島竹良は最初宮竹用水の現場へ朝の七時十分頃に出て来て、その宮竹用水の現場で使う玉石の注文の交渉をするため、鶴来の宇野組の出張所へ行つたのです。そして私が丁度岩本部落の向いの河原へ、石をトラツクに積みに行つた時、中島がトラツクにぶら下つてやつて来たので『どうだつた』と聞くと余りよい返事ではなかつたので、私が『もう一度行つて来い』と云うと中島は行つたのですが、それなり中島とは会わなかつたのです。」との供述。同公判期日における証人橋村政雄の供述中「後になつてから私の自転車に中島が乗つて行つたと聞いたのですが私は何も知らなかつたのであり私は貸しません。」「病院から帰つたら自転車屋にその自転車があつたのでして、誰が其処へ持つて行つたか知りませんが、その自転車屋に私の自転車があるということを組の人から聞いたのです。そしてそれは竹良が持つて行つて落ちて壊れたので、同人が持つて行つたことを後で聞いたのです。」との供述。中島佐太次の検察官に対する第一回供述調書、被告人向山、同小村に対する原審第八回公判期日における証人中島佐太次の供述(被告人竹島、同嶋倉、同今西、同山森に対しては供述調書記載)、原審第四十九回公判期日における証人近藤洋一、同山田権作の各供述、当審における証人徳川俊信の供述、中島竹良の死亡診断書を綜合すれば、中島竹良は株式会社宮竹組に勤務し、右会社の請負工事たる宮竹用水の工事場において、工事責任者徳川俊信の配下として、使い歩き等をなしたるものであるが、天狗橋落下の昭和二十五年十一月十一日当日は午前七時十分頃宮竹用水の工事現場に出勤し、右徳川俊信の命により宮竹用水の現場で使用する玉石を注文するため、鶴来町の宇野組の出張所に行き、その帰途天狗橋上にて作業状況を見ているうち、同橋の落下により墜落し、原判示のとおりの傷害を受けて死亡するに至つたものなることが認められ右中島竹良は単なる通行人であつて所論のように本件天狗橋損壊作業の従業者と目することはできない。刑法第百二十四条第二項にいわゆる「人」とは犯人以外のすべての者を指称すると解すべきであり、従つてその意義を通行人のみに限定すべきでなく、陸路、水路又は橋梁を損壊又は壅塞して往来を妨害したる者及びその情を知りながら右損壊又は壅塞の作業に従事した者を除き、往来妨害に因つて死傷に致されたすべての人を包含するものと解すべきところ、船木末吉の司法警察員に対する供述調書中「昭和二十五年十月二十五日頃から能美郡の宮竹にある宮竹組という土建組の徳永さんという人が来て、宮竹用水の改修工事に人手が要るので来てくれと言われましたので、その頃から宮竹組の工事をしております。昭和二十五年十一月九日の日に宮竹組の現場監督の小村さんから天狗橋の補修工事をしたいからその方に来て呉れという話がありましたが十日は鶴来の別院の木出しでどうにも手を外すことができないので十一日から行くことに決めました。それで昭和二十五年十一月十一日の午前九時四十分頃話のあつた天狗橋の現場に行つたのです。私はこの天狗橋の工事は下流の神田橋が完成するまで一時的に補修をし、神田橋が完成した時は大々的に修理するということを、宮竹組の同僚である人達から聞いておりました。」「私が朝橋の現場に来た時直ぐ感じたことですが、折れている橋桁を二本取替えるのに、一度に取替えるつもりなのか、四本も吊ワイヤーを外して、危いやぼなことをするなあと思いました。長年土木の仕事をして来た私としては、一本一本折れた橋桁を取替えるのが当り前で、そうすれば一度に四本も吊ワイヤーを外す必要もないものをと考えるのです。橋の落ちた時小村さんは鶴来側の橋のピヤー(橋脚)附近にいたのを見た様に思います。橋が落ちたのは大体私が天狗橋に着いてから十分位たつてからだつたと思います。」の供述並に同調書中記載によれば、船木末吉は株式会社宮竹組に雇われ宮竹用水の工事場に働いていたものであるが、同組の上役である被告人小村より天狗橋の補修工事の方に来て呉れとの言によりはじめて昭和二十五年十一月十一日午前九時四十分頃天狗橋に至つたものであるが、同人の仕事に着手前、同橋が落下したものであることが認められる。また北嘉尚の司法警察員に対する供述調書中「私は十一月十日に先程申した宮竹組の臨時人夫として私等の部落地内で宮竹用水改修工事に行つていたのであります。その翌朝たる十一月十一日に宮竹組の専務である同じ部落の徳川さんが今日天狗橋の方の工事の処へ行く様にと言われましたので同日午前七時過頃宮竹組の金山さんの貨物自動車で同じ部落の橋場さん、金谷さん、小蔵さん外数名の人夫の方と共に天狗橋に向つて出発したのであります。」「橋の中央に二条の自動車の通り道としての縦板が二、三枚外してあつたので、それを岩本地内の方の橋詰附近の空地に運んだり、又その縦板をバリ用の金棒でおこしたりする様に、一緒に行つた金谷さん等工事の経験者の方が言われましたので、金谷さんと橋場さんと私とその外に誰が居られましたか知りませんが、それ等の方々と専らその仕事に従事して居りました。」との供述記載。被告人嶋倉、同今西、同山森に対する原審第十六回公判期日における証人徳川俊信の供述中、(他の被告人に対しては証人尋問調書)問、「証人が十一月十一日に小村の方えまわした人夫というのは誰か」、答「雲戸豪作、雲戸長清、小蔵善久二、大家秀雄等ですが、あとは誰であつたか記憶ありません。」、問「その人夫に天狗橋へ行つてくれと言つた時、証人は人夫に対してどういうことを言つたか」、答「小村が人夫を貸してくれと言つているから行つてくれと言いました。」、問「その人夫達はどういう仕事に行くのかも尋ねなかつたか」、答「聞かなかつたと思います。」、問「その時証人に言われて天狗橋へ行つた人夫で証人からどういう仕事のために行くのだということを言われたと述べている人が居るのだがどうか。」、答「私は言つたことはないと思います。」との供述を綜合すれば右北嘉尚は株式会社宮竹組に雇われて宮竹用水の改修工事場に働いていたものであるが、昭和二十五年十一月十一日宮竹用水の工事責任者たる徳川俊信より今日は天狗橋の工事現場の方に行けと命ぜられるままに同橋の工事場に至り、金谷等経験者の指図を受け機械的に同橋の縦板をはがし又はこれを運搬していたことが認められる。森岡達美の司法警察員に対する第一回供述調書中「昭和二十三年七月頃から父の友達である宮岸さんの所に大工見習のため弟子入して御世話になつて居ります。」「昨日の十一日も朝天狗橋の工事現場に来て作業をしていましたが午前十時頃だつたと思いますが突然橋が墜ちまして数人の人が死んだり怪我をしましたが」「昨日はじめて宮竹組の工事関係の人や人夫が作業を開始したのですが、橋の修理は吊橋の橋桁が折れて橋の諸所が破損している所を新しい材料に取替える作業であります。」「本月九日の晩方でありました。仕事先から帰つて来ますと、主人の宮岸さんが私と近藤さんに向つて、翌日から天狗橋の修理にかかるからと申されたので、私等はどんな所を修理するのですかと尋ねたところ、その時主人より『橋の手前方(鶴来側の方)の折れたところから換えてゆくまいか』と申されたのであります。」「この工事についてはどんな系統でどんな方法で取り掛つて居るのか知らないのでありまして、親方の言う通り来て仕事をしていただけなのであります。」との供述記載。宮岸政一の検察官に対する第一回供述調書、被告人金山、同向山、同小村に対する原審第二回公判期日における証人宮岸政一の供述(他の被告人に対しては証人尋問調書)を綜合すれば、森岡達美は大工職宮岸政一の弟子であつて、昭和二十五年十一月九日の夜、明日から天狗橋の修理にかかるから行くように言われるままに天狗橋の工事現場に行き、機械的に働いていたものに過ぎないものであることが認められる。橋場定信の司法警察員に対する第一回供述調書中「十一日の朝宮竹組の工事場である宮竹用水へ行きましたところ番割をしている徳川俊信さんから天狗橋の工事場に行くように言われたので、其場から六、七人金山組の貨物自動車に乗つて天狗橋の工事場へ午前八時頃着きました。」「私は天狗橋の岩本の方に近い橋の上で縦板を自動車に乗せるため運搬して居りました。」との供述記載。同人の司法警察員に対する第二回供述調書中「私等四名の内年長者である金谷秀雄さんが私等の仕事の段取りをして下さいました。」との供述記載。当審における証人としての同人の供述、被告人嶋倉、同今西、同山森に対する原審第十六回公判期日における徳川俊信の供述(他の被告人に対しては証人尋問調書)を綜合すれば、右橋場定信は株式会社宮竹組の工事現場である宮竹用水の工事場において働いていたものであるが、昭和二十五年十一月十一日朝に至り宮竹用水の工事責任者たる徳川俊信より天狗橋の工事場に行くよう命ぜられて天狗橋の工事場に至り年長者の金谷秀雄の段取により機械的にその仕事に従事していたものなることが認められる。以上のとおりであつて、舟木末吉、北嘉尚、森岡達美、橋場定信は、いずれも、本件天狗橋の工事現場に居合わせた者であるが、橋梁を損壊し往来を妨害する意思もなく、またその情を知らずして、単に機械的に命ぜられるままに、その仕事に従事していたに過ぎなかつたものなることが認められる。而して同人等はいずれも本件天狗橋の落下により、原判示のとおり傷害を受けたものであることが記録上明らかである。従つて原判決が、右辻井与太郎、中島竹良、舟木末吉、北嘉尚、森岡達美、橋場定信をいずれも刑法第百二十四条第二項にいわゆる「人」と解し処断したのは正当であつて、この点につき原判決には事実の誤認はなくまた法令の解釈、適用に誤りはない。この点に関する論旨は理由がない。
次に原審第四十八回公判期日における証人橋村政雄の供述中、問「証人は天狗橋に行つてクリツプを外す仕事をしていたというのであるが、その当時橋はどういう風にする工事か知つていたか。」、答「人の話によると傾けるということでその時にそんな話を聞いたのです。」との供述、当審における証人橋村政雄の供述中、問「昭和二十五年十月中に証人は天狗橋へ行つたことがあるか。」、答「落ちたとき始めて行きました。」、問「その日どうして行く様になつたか。」、答「宮竹用水で仕事をしていたら宮竹組の徳川さんが天狗橋へ行つて仕事をしてくれと言われ天狗橋の方へ行つたのです。」、問「どんな仕事をしていたか。」、答「吊橋のクリツプを外していた。」、問「クリツプをナツトで止めてあるのだが何んで外したか。」、答「モンキーで外したのです。」、問「何本位外したか」、答「二本位です。」、問「モンキーで直ぐ外れたか。」、答「仲々とれないのでハンマーでとんとん叩いてやつたのであるが、重みで外れたのか叩いた為外れたのかわかりませんがするすると外れて橋が落ちて私も怪我をしたのです。」との供述。被告人嶋倉、同今西、同山森に対する原審第十二回公判期日における証人小寺勝秀の供述中、問「証人は天狗橋の工事に雇われたことがあるか。」、答「あります。」、問「それは何時頃であつたか。」、答「昭和二十五年十一月十一日でした。」、問「その十一日には現場で誰から仕事について指図を受けたか。」、答「向山初三郎から受けました。」、問「その日に誰からか天狗橋を落すのだということを聞かなかつたか。」、答「聞いておりません。」、問「証人等に対して橋のトラスを締めてあるボールトのナツトを外してくれと言つた人がなかつたか。」、答「向山初三郎が言いました。」、問「そのナツトを外すと橋はどういうことになるか。」、答「危いことになります。即ち橋が落ちるということになります。」、問「ワイヤーを外したりトラス締のボールトのナツトを外すと橋はどういうことになるのか。」、答「橋が落ちるということになります。」、問「鉄鎚でクリツプを打つということは向山でも指示したのか。」答「そうです向山初三郎が指図しました。」との供述、原審第十一回公判期日における被告人小村惇の供述中、問「その他に当時天狗橋で仕事をしていた人夫や大工、鳶職が居るがその人達は天狗橋を傾けるということを知つていたか。」、答「知つています、向山なりが人夫等に県から橋を傾けるとかしてくれと言われていると言つていたので知つている筈です。」との供述、被告人竹島に対する原審第二十六回公判期日における証人石村由夫の供述中(他の被告人に対しては同人の証人尋問調書)「人夫として中西幸蔵に頼まれて十一月十日と十一日の二日間出て働いていました。」「十一月十日は県庁のトラツクに乗つて橋板を片付けたりカグラを寄せたり吊線のクリツプを五、六本外しました。」問「補助ワイヤーをかけて吊線をゆるめるということをしなかつたか。」、答「そういうことを言つているのを聞きました。」、問「十一日に橋を落すならば最後の吊線を誰が外すかということを言つていなかつたか。」、答「十日であつたか十一日であつたかはつきりしませんが徳川がそういうことを言つていました。」、問「中西幸蔵が『宮竹組の連中が橋を落すから用心して逃げてこい。』と言つたことがなかつたか。」、答「私達が十一日に鶴来側スパンに居たところ『真中スパンで吊線を外すから真中スパンで合図があつたら逃げて来い』と言われました。」、問「現場に行つてからどういう仕事をしたか。」、答「橋板めくりをやりました。」との供述、被告人嶋倉、同今西、同山森に対する原審第十三回公判期日における証人近藤洋一の供述中(他の被告人に対しては同人の証人尋問調書)「私は宮岸政一の下人夫として天狗橋の仕事に従事していました。」、問「天狗橋ではどういう仕事をしたか。」答「昭和二十五年十月中旬から材料の削り物にかかり、十一月になつてもその仕事をしていましたが、十一月十日頃から宮岸政一が向山初三郎から破壊工事ということを聞いて来たのでその仕事をやりました。宮岸は十日に明日から橋を破壊するということを向山から聞いて来たのです。」問「破壊するというのはどういうようにするのか。」、答「吊ワイヤーやトラスを壊して橋を破壊することです。」との供述、以上によれば、橋村政雄、小寺勝秀、石村由夫、近藤洋一はいずれも本件天狗橋を損壊し往来を妨害することの情を知りながら同橋の損壊作業に従事していたものであることが明らかである。従つて同人等は本件天狗橋の落下により原判示のとおり傷害を受けたものなることは記録上認められるけれども刑法第百二十四条第二項にいわゆる「人」と解することはできない。この点につき原判決は苟も往来妨害の事実が存する限りは通行人たると作業人夫たると区別する理由なく広く往来を妨害することに因つて生じた傷害の結果につき、その責を免れ得ない法意と解すべきであるとしてこれらの者をも刑法第百二十四条第二項にいう「人」と解し、これ等の者の傷害の結果を、被告人等の責任に帰せしめたのは、法令の解釈及びその適用を誤つたものというべく、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点において原判決は破棄を免れない。この意味において論旨は理由がある。
(裁判長判事 水上尚信 判事 成智寿朗 判事 沢田哲夫)